【エルサレム巡礼記】イエスと弟子たちが最後に集った場所 ― 最後の晩餐の部屋へ

イエス・キリストが処刑される前夜、12人の弟子たちと共に「最後の晩餐」をとったとされる場所を訪ねました。

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最後の晩餐の部屋(Room of the Last Supper)



レオナルド・ダ・ヴィンチの名画『最後の晩餐』を思い浮かべていた私には、
シンプルな石造りの空間が少し意外に感じられました。

もちろんテーブルや椅子はなく、あくまでも記録として伝えられる場所ですが、
この場にイエスと弟子たちがいたのだと思うと、静かな緊張感に包まれます。


聖書に記された“最後の夜”
過越祭の準備を命じるイエス。

その詳細な描写がルカによる福音書とマタイによる福音書にあります。

ルカによる福音書22章7〜13節

さて、過越の小羊をほふるべき徐酵祭の日がきたので、イエスはペテロとヨハネとを使いに出して言われた、「行って、過越の食事ができるように準備をしなさい」。彼らは言った、「どこに準備をしたらよいのですか」。イエスは言われた、「市内に入ったら、水がめを持っている男に出会うであろう。その人がはいる家までついて行って、その家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。すると、その主人は席の整えられた二階の広間を見せてくれるから、そこに用意をしなさい」。弟子たちは出て行ってみると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。

イエスは弟子の一人、ユダの裏切りを予告します。

マタイによる福音書26章20〜25章

夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている。・・・イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ。」

さらに、いわゆる“聖餐”の場面もこの時の出来事。

マタイによる福音書26章26〜29節)

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。これは罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の地である。あなたがに言っておく、わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。

この空間で語られた言葉、交わされたパンと杯が、
2000年を経てもなお世界中の人々の心に残っていることに、ただ静かに感動を覚えました。

信仰の有無にかかわらず、一度は立ち止まって感じてみたい――
そんな特別な場所です。

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